オーベックは、読み解いていた書物を傍に避け、じっと眼前の男を見つめた。
「……なあ」
「ん? 何です? 俺の顔に何かついてます!?」
「…………
「えッ、怖ッ! 俺何かしました? 地雷踏んだ!? 先生に見放される!? ……武器の強化用にためてたソウルでレベルアップしろってことですか先生……」
「……いや、別に。お前の素顔が珍しいと思っただけだ」
軽いパニックに陥っている男を見て、その後、この祭祀場に佇む火守女の姿を見た。
幼児のようにはしゃいだり叫んだり、この男は感情を表に表しすぎるきらいがある。
なんの因果か、オーベックが弟子に教えを乞われる身になり久しいが、教えを授ける自分の弟子の素顔をはっきりと見たことはなかった。
常に鎧と兜を身につけた姿しか見たことがなかったので、じっくりと顔を見ていただけだった。それなのに、男は慌て、媚びるような目でこちらを見てくるのだ。
そこまで自分の人相は悪いのだろうか、と少しオーベックは考える。そして、犬のような人相の男の顔を少し眺める。
甲冑姿からその者の人相や年齢を探ることは難しい。最初に会った時、声から男であるということはわかっていた。そして、そこまで歳を重ねていないであろうことも。
その予想は当たっていた。まだ二十代の半ばにも達していないであろう──下手をすれば、成人して間もないのではないかと思える程に、その顔は幼かった。
想像よりも、男は若かったのだ。よく見れば、まだそばかすの跡も残っているのではないだろうか。
不死者であるというのに、頬は赤々と輝き、健康的とすら思えるほど、栗毛色の髪はつやつやと輝いて見えた。
「確かに! 俺ってば、一回もこれを脱いだことないんでしたよね? どうですか? 先生ほどじゃないけど、俺だって男前でしょう?」
眩い。
若さと、不死になっても失われていない瑞々しさが。
今にも鼻がぶつかりそうな距離にまで近づいてこられたので、向こうの瞳に自分の顔が映り込んで、鏡のように反射しているところまでも見てとれた。きっと、向こうにも、自分の目に弟子の顔が映っている様子が見えているだろう。
古い森のような深緑の目に見つめられて、少し顔が強張るのがわかった。
古来より、緑の目は呪いを帯びていると伝えられる。魔術師にとって、緑色の目には、邪眼じみた力を感じさせるオーラがあるのだ。
「わかった。わかったからそこまで近づかなくてもいい」
「はーい」
……正直、これ以上見つめられていたら恐ろしく思えてしまっていただろう。何もかも見通されそうな気がするのだ。
今は目つきこそ柔らかいが、戦いの時になれば、獣のように瞳をギラつかせて、敵を屠るのだろう。
弟子に怯えるとは、教師失格だ。とオーベックは考えた。
大した期待をせずに弟子にしたが、持ってくるスクロールの内容を見ていつも驚かされる。どれも手に入れるために大変な苦労が必要になる品々ばかりだった。これらをどこで拾ってきたのか、彼が語り出すと冒険録を延々と聞かされる羽目に陥った。
「……なあ、アシュレイ。お前、幾つで不死になった」
「十七、っすかね」
「じゅうなな……」
最低でも成人はしているのではないかと、想像していた。目の前の痩せぎすの少年は、オーベックの予想を裏切り、そうとは知らずに微笑んでいる。
「……若いな」
「あはは、よく言われます」
照れて頬に赤みが差す。不死者であるから、生まれてからここまでに重ねた月日は計り知ることは難しいが、顔付きにはしっかりとした、自信と快活そうな表情が表れていた。だからきっと、火のない灰としての役目を担ってからそれほど経っていないのだろう。
役目に追われ、疲れ果てた不死者たちと、この少年との間にある差は大きい。なればこそ、自分は師として彼を導くべきなのだと、そう思った。
「先生も、若いですよね」
「どうだか、お前に比べれば俺も爺さ」
竜の学院を追われてからしばらく経つ。
一人で細々と研究を続ける間に、幾年もの月日があっという間に流れてしまった。それこそ、数えるのもバカらしくなるくらいに。
「ええー、そうは見えないっすけど」
アシュレイは無遠慮な視線を師匠に投げかけた。
「シワだってないし……うわっ、先生の肌ってヒゲとか生えないんすか? ぜんっぜん爺さんには見えないんですけど」
「……おい、いい加減にしろよ」
ついには頬をベタベタと触り、「ツルツルだー!」などと叫ぶ始末だ。身なりにはそれなりに気をつかっている。それが無駄であろうと、習慣として続ける意味はあると信じている。
「あ、スミマセン……」
「あまり無遠慮に人の顔に触るものじゃない」
人に最後に触れられたのは、いつだったのだろう。不死者になってから、人に触れることはおろか、単純に交流することも滅多になかった。廃墟の中で、ただ一人研究に没頭する日々。それが日常だった。
そんな日々からオーベックを連れ出した男──アシュレイが濡れた犬のようにしょぼくれている。
あまりにも弱々しく見えたので、多少の無礼は許すことにしようとオーベックは思った。……やはり、甘すぎるのかもしれないが。
「それよりも、だ。お前が持ってきてくれたスクロールから、お前でも使えそうな魔術を見つけた。教えてやるから、杖を持て」
「はーい!」
懐から大量に出てくる糞や草や石ころ、石矢の中から、細身の杖が出てきた瞬間、オーベックは再び目眩のような感覚を覚えた。
剣のように丁重に扱え、とは言わないが、せめてすぐに使えるように携帯しておくようにと再三伝えたが、結局このザマである。
「……どうしてこうもお前の荷物は多いんだ?」
「さあ……身につける物以外、全部入っちゃうので」
「俺が教えた呪文はちゃんと使っているのか? その様子だと、すぐに杖も取り出せないだろ」
「アハハ……でも、武器強化くらいしか使ってないし、それはボス部屋前でチャチャっとかけちゃえばいいし……」
「…………おい、教える側のやる気を削ぐようなことを言うなよ」
オーベックはため息をつきながら、スクロールに刻まれた呪文を唱えた。光が軌跡を描き、壁に当たって、そして砕けた。
この祭祀場の壁はダメージを吸収するので、少し埃が立った程度で済んだが、実際には壁に衝突した時点でエネルギーが爆発しているので、それこそ、実際には砕けてボロボロになってしまうほどの威力があった。
まるで見せ物を見たかのようにパチパチと拍手を送る弟子に、オーベックは語りかける。
「──と、まあ、こんな感じだ。とりあえず、これの通りにやってみろ」
「俺にもできるかなあ〜」
杖を上下に振りながら、アシュレイは不安げにオーベックの顔を見つめた。が、師匠はそんな態度に甘い言葉をかける男ではなかった。
「心配よりも先に手を動かせよ」
その言葉を聞いて、アシュレイは覚悟を決めた。とりあえず、やってみる。それでできなかったらまた理学あげればいいし、と。
覚えたての呪文を唱え、杖の先に意識を集中させる。確かな手応えを感じたすぐ先で、光が放射線を描き、小規模に爆ぜた。
「……六十点」
「ええーっ!」
「お前にしては、大した出来だ。理論は掴めているようだな。……だが、これを実戦で使えると思うなよ」
「俺でも使えそうな呪文って言ってたのに……」
「使えるのと、使いこなせるのとでは、全然違う。今日はつきっきりで教えてやるから、励めよ」
その言葉を聞いてげっそりと顔を青白くさせた弟子とは対極に、オーベックは自身の口元が緩む感覚を覚えた。
弟子は不出来だが、だからこそ教えがいがあるのかもしれない。いくらできが悪くても、真面目でこちらを慕ってくれる生徒というものは、構って導いてやりたくなるのだ。
──このことは間違っても本人には絶対言わないが。
大真面目に杖を振る自分の弟子を見て、この教師と弟子の真似事を心から楽しんでいる自分がいることに気づいた。
顔をげっそりさせながら、杖を見つめる弟子を見て、オーベックはニヤリと笑った。
「アシュレイ、お前ならやれるはずだ。何せ、俺が直々に教えてやっているんだからな」
しばらくは、先生と呼ばれるのも悪くはないだろう。そんな風に思った。