目の前に佇む火のない灰は、パッチの上客だった。  火継ぎの役目を仰つかさった少年は、今日も仕入れた商品たちを興味深そうに眺めていた。  彼は、商品を仕入れる先から値切りもせずに買い上げていく。なので、相当な交渉下手か、世間知らずか、金持ちなのだろう。  実際に、祭祀場の一角に閉じ込めた件に関しても許されている。人を信用することが容易い性格なのだろうと勝手に考察もしてみる。  事実、高級そうな金属の全身鎧で身を固めているのだ。以前は騎士か、それに準ずる高貴な身分でいたのだろう。  まあそれも、火継ぎの使命を負った以上は生来の経歴など無意味に等しい。 「……これはなんだ?」  彼が手に取ったのは、古びれたラベルの貼られたボトルだった。栓が固く閉められたそれは、廃城を漁った時に拝借したものだ。 「おっ、それは上等だぜ。どこかの密使が拷問用に作った薬品で──なんと、嘘がつけなくなる薬らしい」 「へえ……実際に使ったことは?」 「いや、まだだ。なんなら、ちびっと使わせてやるからよ、試してみねえか」  と言ったところで、このひよっこがそんなことをする相手などいないだろう。そう思っての発言だった、のだが。 「わかった。試させてくれ」 「マジかよ……」 「なんだよ、俺が使って悪いか」  そんな物騒な薬を使いたい相手がいたのかよ。そう声に出してしまう前に、彼は乱暴に瓶をひったくって持っていった。  足早に帰っていく背中を目で追い、少し悩んだ末、そのあとを尾行することにした。  あの様子だと、すぐにでも試すかもしれない。  パッチは急ぐ若人の背中を追う。期待に胸を膨らませ、猫のように静かに。    祭祀場には死角になるような場所がいくつもあった。念には念をいれ、簡単な隠密の呪文を使い、柱の影に隠れる。  ここに集まっているのは、どれもこれもあの少年の知り合いばかりだということは知っている。  中でも、あの騎士の少年に魔術を教える、学院崩れの男とは一等親しいようだった。  難解なスクロールを読み解く魔術師のそばに跪き、声をかけている。  聞き耳を立てずとも、その内容は聞き取ることができた。 「なんだ? 新しいスクロールでも持ってきたのか」 「違いますよー、でも、いいものを持ってきたんで見てほしいんですよね」 「……まあ、いいだろう。見せてくれ」  少年が取り出したのは、瓶と酒杯だった。 「この前助けたカタリナの騎士から頂いたんですよ。上物なので一緒に飲みましょう」 「酒を? 変わったやつもいたものだな」  酒杯を受け渡す直前、例の薬をこっそり混ぜたのを、パッチは見逃さなかった。 彼が薬を混入させる手つきは、非常に手慣れていた。  フルフェイスの兜もあっけなく外される。中から出てきたのは、海のような碧眼の、美少年だった。  普段頑なに被ったままの兜を、なんの躊躇いもなく外しているのを見たのは初めてだった。騎士というよりも、そのそばに控える見習いのようだ。  亡者に見られる特徴は、全くと言っていいほどない。幾度も死らしい死を迎えているわけではないのだろう。青臭いやつだと思っていたが、成程、と合点がいった。 「じゃあ、乾杯しましょうよ。かんぱーい」 「乾杯」  アシュレイの目は、渡した飲み物を飲み込む己が師の喉元だけを見ている。 「…………この体になってから何かを口に入れたのは、初めてだ」 「どうですか? いいでしょう?」 「ああ、悪くはない」 「よかった〜気に入ってもらえて」  酒に便乗して、アシュレイはオーベックとの距離をじわじわとつめているように見えた。  どうやら、あの少年は先生と慕う相手のことが好きなようだ。あの魔術師の男も、普段ニコリともしないくせに、先生と慕ってくる相手には柔らかい笑みを見せている。  またふっかけるネタが増えた、とパッチはニヤニヤと笑う。  ふわふわとした口調とは裏腹に、アシュレイの顔色からはアルコールの影響は見られない。酔ったふりをしてベタベタと寄りかかってはイチャイチャと乳繰り合う様は、普段のおとなしい様子からは全く想像ができなかった。  他の祭祀場のメンバーは皆見て見ぬふりをしているらしく、何事もないようにそれぞれの作業に没頭している。  入って日が浅く、しかも離れた場所で商品を広げているパッチだけが、この二人の異様な空気を知らなかっただけなのだ。 「せんせー、俺のこと好きですか?」 「…………はぁ?」  オーベックよりも少し背の高いアシュレイは、猫のように擦り寄りながらそんなことを言った。  酒で少し頭がふわふわとしていたオーベックは、自分の聞き間違いだと思ったのだろう。低い声で聞き返した。 「そこは好きだって言わないとダメじゃないですかっ!」 「馬鹿野郎! お、お前、何で俺がそんな恥ずかしいセリフを……」 「えー、俺は先生のこと大好きなんですけど。色々手取り足取り教えてくれるし、なんだかんだで優しいし……もしかして、俺のこと嫌になりました?」  目が本気だった。さあ言えとばかりに、アシュレイはジリジリとオーベックを追い詰めていく。 「お前は俺にとって誇れる生徒だ……これでいいか?」  あまりにも必死な弟子に対して、まるで母親のように語りかける。 「何を不安に思っているか知らんが、俺は別にいなくなったりはしない──アシュレイ、お前が持ってきてくれるスクロールの解読もまだ終わってないし、まだ教えていない呪文がいくつもあるしな」  その返答を聞いて、先ほどまで獲物を追う鷹のような目をしていたアシュレイの顔が、みるみる溶けていくのがわかった。声にならない声をモゴモゴと上げ、アシュレイはへなへなと座り込む。 「…………そ、そうですか…………ふーん……」 「これで満足か?」  そう言ったオーベックの耳も真っ赤に染まっている。二人揃って、微妙な距離でお互いを直視できず、それぞれが斜め上を見上げている。  なんだこれは。  男二人の痴話喧嘩を見せつけられて、パッチは胸焼けするような居心地の悪さを覚えた。  あの様子なら、別に薬など盛らなくても同じような流れになったのではないかと思う。このまま見ていたらキスでもし始めそうだったので、その場を離れることにした。  周りを見回すと、全員が見て見ぬふりをしていた。これが通常運転なのか。これでいいのか。やはり、ここはどこよりもイカれている。火継ぎの祭祀場は連れ込み宿じゃないんだぞ。  あまりにも馬鹿馬鹿しいので、ネタにしていじる気もすっかり消えてしまった。バカップルめ、イチャイチャしやがって。心の中で悪態を吐きながら、パッチは外に出て、灰色の空を仰いだ。

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