戦争は終わり、また新しい戦争が始まる。この国はそれの繰り返しだ。略奪、正義、独立。歴史とは、流した血と数多もの屍の上で成り立っている。
 僕が戦争に行った理由は、思い出せなかった。ただ流れるように大学を出て、そのまま次に進むように銃を握っていた。そうして、なぜだか運良く生き残った。それに、戦争で見つけた友もいた。彼が僕のことをそうだと思っているのなら、という話だけれど。
 ロバート・キャパにも憧れたが、それも無駄だった。憧れて購入したカメラを使うこともなかった。結果として、僕はスナイパーとして戦場を渡り歩く生活を送った。それは、入隊する前の訓練で教官に射撃の腕を認められたからかもしれないし、僕がスコープ越しに覗く世界とカメラ越しに見る世界にデジャブを感じたからかもしれない。

 カメラと狙撃は似ている、と思う。写真を撮るというという行為は、部外者になるということだ。狙撃手は、相手から離れた場所から脳天をぶち破る。それはある意味、その人間の人生の一瞬を切り取るという行為なのではないだろうか。写真を撮るものと被写体、狙撃するものと殺されるもの、その関係は一方通行のように見えて、深く関わり合っているのだ。切っても切れない因縁のようにね。

 そういえば、彼は戦場でもラブ・コメディをしようとしていた。ある意味、彼の行為は正しいのかもしれない、と僕は思っている。なぜなら、僕らは銃を愛人に、母親に例えて生きることを最初に叩き込まれる。まっさらにするのだ。何も知らない無垢な少年でいる間だけ、僕らは人を殺すことができる。第二次世界大戦で、多くの兵士が発砲できずに死んでいったことを、お偉いさんは知っていた。だから、手っ取り早く麻薬中毒にしてしまう。戦争は、その場凌ぎさえできればいい、勝てばいい戦いだ。それ故に十代の若者をすりつぶして前進していく。ヒカル・ミナミはその中の特異点のような存在だ。大抵の現地人との交際はうまくいかないものだ。運良く自国に連れて行ける人間は少ない。ミナミ君だって、そういうことは考えていたはずだ。しかし、あの奇怪で恐ろしい戦闘力のベトコンの少女には、そんな平凡な道はないのだと思ったのだろうーーそもそも、彼らが恋愛していられる場所なんて、アメリカにもベトナムにもないはずだ。きっと、それは戦場にしかない愛だ。愛というよりかは、喜劇。喜劇にして悲劇であり、愛によって煮え繰り返った一種の狂気。彼の自慰行為を横目に、僕はただ寝転がって目をつぶっていた。相手は誰かなんて知らなかった。知ったのは、死にかけたその場所で。彼は彼女だけを見ていた。その意識の中に、僕はいない。それでも、僕は彼のことが嫌いになんてなれなかった。
 でも、特異点であっても彼は彼だった。日系人の従軍カメラマン、ヒカル・ミナミは数多の戦場にて死んだどんな兵士よりもあっけない、自殺という方法で命を絶った。あれはまさしく、心中と呼ぶにふさわしい光景だった。あの瞬間、僕は今までに見たどんな写真よりも深い衝撃を受けた。自殺したものは十字路に埋められ、裁きの時まで永遠に彷徨うという。彼は日系人だからキリスト教を信仰していないだろうが、彼らは一人で彷徨うのではなく、二人で地獄に落ちるのだろう。でも、地獄なんて戦場でしかないのだから、結局二人はどっちつかずなのだ。彼が恋に落ちて、彼女と共に死ぬまで生きた。その記憶だけで、彼らは何者にもなれなかったし、僕はそれ以上に彼のことを知らなかった。
 
 バスを降り、田舎の舗装されていない道を歩く。何マイルも遠く離れた異国から、自分の家に帰ろうとしている。それに対して実感が湧かなかった。
 北米の土を踏み、都会の喧騒を離れ、ずっと遠くに旅してきた。帰郷と言うよりは、旅だ。ラジオからは今はやりのポップスが流れている。聞いたことのないメロディに、僕は空白の期間を感じる。
 ほんの数ヶ月前まで、僕は隊列を組んでジャングルの中を歩き回り、見つけた村を焼いては人を殺していた。まさに今も、自分の手に握られたカバンが銃であるかのように思えるのだ。少し目を閉じて見える景色は、暗闇ではなくダナンの夕景。牛や農民の歩くあぜ道、鼻腔を擽るのは炸裂したナパームが木々を焼く匂い。それらがまるで、悪夢のようにまぶたの裏から剥がれないのだ。
 帰国する途中でも、病院でも、僕は眠れなかった。夜には彼の声を聞いた。紛れもない、幻聴だ。耳で彼は囁く。囁く言葉の意味はわからない。これは、僕の都合のいい妄想。彼に抱いた屈折した欲望が見せた幻だ。彼の声も姿も、何もかも覚えている。今でも鮮明に思い出せる。でも、それは言い換えれば、彼以上の思い出がないということと同じだ。

 実家の芝生は、芝刈りもろくにされずに荒れていた。でも、木に吊るしたブランコはそのままで、何も変わっていなかった。緑色に塗装した屋根も、くたびれたポストも、そのままだった。
 ポーチにあった椅子もそのままで、落ち葉が積もっていた。母はそこで、本を読むのが好きだった。そして僕は木の上から見る風景が好きで、カメラを持ってあちこち走り回っていた思い出がある。ピンボケした写真のように、ほんのすこししか覚えていないが、それでも確かに僕はここで育った。
 ドアを開ける。鍵はかかっていなかった。ギィっという鈍い音を立てて、ほとんど変わっていない室内が見えた。電気はついていない。カーテンは開けっ放しだ。田舎の広い家は、小さな僕には広すぎた。でも今は、そうでもない。
「ただいま」

 全く連絡もせずに帰った僕に、母は何も言わなかった。僕が出兵したことは知っていたらしい。なにせ、全く連絡の一つも寄越さなかったのだ。けれども軍からの手紙で、僕が負傷して後方の病院にいたことは知っていたのだと言う。
「久しぶり」
「えぇ、貴方も大きくなって」
 どこか余所余所しい態度が、僕と母親との溝を表しているようだ。
 軍服のままここまでやってきて、ほんのすこしの荷物を床に置き、母はお茶を淹れた。
 カモミールティー。小さい頃から飲んでいた味だ。何も変わっていない。変わったのは僕だけで、母は何も変わっていなかった。この街も、家も、時間が止まったようだった。
 重い沈黙が続く。
 僕の瞳は母親と同じだったが、顔立ちはそうでもなかった。
 僕は父親を知らない。
 母のアッシュグリーンの瞳は、僕ではなく手元のソーサーに注がれていた。
「母さんはね、あなたが出て行ったことに対して怒っているのではないのよ……」
 どこか愚痴でもこぼすかのように、母は切り出す。
「どこか遠くに行きたいと思っていたことは知っているし、貴方がそうーー高校を卒業した時から、なんだかこんな風になるんじゃないかって思っていたのよーーでもね、戦場に行くことになるなんて、思ってなかったわ」
 母は他人事のように淡々と呟いた。独り言でも言っているみたいな話し方だ。こういうとき、母は大抵恐ろしく真剣に考え込んでいる。
「銃を担いでジャングルの中を歩いてーー長かったでしょう」
「そうでもなかったさ、恐ろしく長く感じていたのは最初だけだったよ」
「そう……貴方、大きくなったわね。顔つきも変わった」
「そうかな」
 僕はしらばっくれた。本当に、僕の顔つきも、身長も、最後に会った時から大きく変わっている。身体つきは細くなり、けれども少し筋肉がつき、顔には目立った隈ができ、以前と以後で分けてしまえるんじゃないかというくらい、全てが変わったのだ。自分でもわかることを、母が気づかないはずもなかった。
「……そうだ、貴方の部屋に荷物を置いておきましょう」
 母は細くなり、見るからに衰えた腕で僕の荷物を運ぼうとした。
「母さん、それは僕が」
 変わったのは、僕だけではなかった。皮が弛み、シワが増えた顔を横目にみる。そうして荷物を受け取ると、登るたびに軋んだ音を立てる階段を上った。

 僕が子供時代を過ごしたあの部屋は、今も丁寧に片付けられ、掃除され、最後に出て行った時と変わっていない。
 背が伸び、目線が変わったせいかどうしても落ち着かない。試しに椅子に座ってみると、明らかにサイズが合わなかった。
 ベッドの上にカバンを下ろし、軍服を脱いでシャツ一枚になった。
 棚には写真集やアルバム、文庫本に賞状やトロフィーが置かれている。あれは小学校の時ので、横のは高校の時のだ。まるで、新しい部屋を捜索するかのように、僕は引き出しという引き出しを開けた。
 机の引き出しには、カッターで傷つけたあとや、鉛筆での落書きの跡があった。それに、中にはカメラが入っていた。小遣いを貯めて、初めて買ったコンタックスだ。
 懐かしいな、なんて思いとともに、風邪薬のように苦い思いが胸に広がる。心臓の柔らかいところをつままれているように。
 けれど、この痛みには覚えがある。


 僕が生まれた時から、今に至るまでの話でもしよう。
 僕が生まれたのは五大湖の近くにある田舎の町だ。どうしようもないくらい平凡な、ごくありふれた古風なアメリカの田舎。車で30分も走れば1周もできるような広さの住宅街、個人店が支配し、人の噂話で暇を潰す、所謂中産階級と労働者階級の白人であふれかえっている町だ。
 そんな中でも、僕の家族はやや一般的にあり得る範囲でのイレギュラーだった。父親は僕が産まれる前に死んでいて、母は父の遺産である家たちと、それを貸すことによって得た収入で細々と暮らしていた。僕が小学校に上がると縫製の内職を始め、保守的な金持ち相手にそれを売って僕を育てた。生活は安定していた。けれども、どうしても父親がいないということは、事実として重く僕にのしかかってきた。しかし、日々の生活の中でそれを実感することは少なかった。僕の父親の写真は一枚も残っていなかったので、僕にとっては最初からいないのと同じだったのだ。
 母は多くをあまり語らない人だ。大事なことは常にはぐらかし、僕が喋り倒すのを微笑んで見守っていた。けれども、重要なことをいうときは僕の目線に合わせて膝をつき、顔を近づけてゆっくりと、あくまで穏やかに僕に言うのだ。「クリス、あなたはお母さんの大事な子なのよ」と。
 こう言われると、僕は何も言えなくなる。まるで、鎮静剤でも打たれた蚊のように黙りこくってしまう。母の目は魔性の目だ。神話に出てくる蛇の化け物のように、僕はあの目に逆らえない。そしてその目は、僕の瞼を切り裂いたあの少女そっくりだった。

 僕の写真は、ひどく凡庸で面白みというものに欠けると思う。良い意味で言えばリスペクトの精神に溢れていて、悪く言えばオリジナリティに欠ける、紛い物だ。
 けれども、その当時の写真を撮る子供はかなり少なかった。カメラ自体が高価で、子供の手の出せるものではなかったからだ。
 だから僕は、小さな田舎町の写真屋になることを夢見ることができた。それどころか僕は中学に上がる頃には、プロのカメラマンになってニューヨークで暮らし、日々の風景を撮り続けて生きるなんていう、小さな理想を抱いていたのだ。
 母は僕のことをそっと見守り、何も言わなかった。肯定も否定もせず、ただ「よかったわね」と言って微笑んだ。僕の撮った写真を現像するための暗室も用意してくれた。その部屋が、亡くなった父のものだというのは気づかないふりをした。父は新聞記者だったそうだ。だから僕は、父と同じようにカメラを持って駆け抜けた。何マイルも先の見たことのない場所に行きたかった。けれども、町と道路の間にボーダーラインが引かれているみたいに、僕は外に行けなかった。僕は結局、夕暮れになると真っ赤な自転車に乗って家に帰った。だから、僕が撮った写真はいつも同じ風景ばかりだった。
 僕は写真部に所属し、そこでも写真を撮り続けた。そのとき、僕をよく見てくれていた教師は言った。「君は良いカメラマンになるよ」と。そのときに僕の神経はイカれてしまった。まさか、教師は思っていないだろう。世間知らずな田舎の学生が自分のお世辞を信じ込んで、今後の人生をゴミみたいに捨ててしまうなんてことを。
 その当時の僕ときたら、ひ弱で貧弱で、まるで男らしくない、といった風貌だった。まるでのっぽの棒切れのように、押したら倒れてしまうような見た目だ。けれども僕はいじめられなかった。いじめるほどの対象でもなかった。僕は田舎では、なかったことにされた子供だった。手を触れる対象ではない、異物だ。透明な水の中に一滴垂らされた黒いインクのように、僕はその中に混じることができなかった。
 学校で、僕はずっと一人だった。そんな人間を、唯一認知して褒めてくれたのはその先生だけだった。明るい鳶色の瞳、人懐っこい笑顔、彼に対して情けないことに、父性を感じてしまったのか、それとも何を見出そうとしたのか、とにかく、思春期の一過性のものに過ぎないそれをーー10代の煮え切らない心を、そのぐらつきを埋めようと、僕はさらに写真にのめり込んだ。そこで手に入れた教養は、僕の武器になったのかはわからない。
 とにかく僕は信じてしまった。思うままに写真を撮り、本を読んではうっとりと夢に浸った。まだ見たことのない場所、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、大都会の真ん中、まだ見たことのない場所に行きたっかっただけなのか、なぜなのか、今でもそれはわからない。それでも僕は、そう言われるがままに、愚かにも自分の才能というやつに全てをかけて、単身田舎を飛び出してしまったのだ。
 僕が田舎を出ると決めて、母にそう告げた晩は眠れなかった。母はあの瞳を2,3度瞬かせると、肯定するでも否定するでもなく、「そう」と言った。それから僕はなんとなく、母に対して余所余所しくなった。どことなく自分で溝を作ってしまった。僕と母との間には、見えないマジノ線のようなものが引かれた。もともと、マジノ線なんて見えないのにね、変な例えだ。僕がもったいぶった、知識人めいた喋りかたをするようになったのもこの頃からだ。僕は小遣い稼ぎの片手間に写真を撮った。僕は芸術系の大学に行きたかった。フィルムは増えていった。つまらない写真もだ。僕は、昔から夢見ていた都会よりも、キャパの歩いた戦場に思いを馳せた。キャパの訪れた場所ならば、どこへでも行きたい。日本もその内の一つだ。だから、彼に惹かれたのかもしれない。僕は戦場に行きたかった。どこか遠くへ、出来るだけ離れた場所へ!
 僕は西部開拓の精神を受け継いだ、典型的なアメリカ人になんてなりたくなかったのに。
 僕がとうとう家を出る日。その二週間前から母親とは口をきかなかった。それに、彼女とは目も合わせなかった。母がカタカタとミシンで布を縫う音だけが家で響いていた。僕はトランクに着替えを詰め込み、大学の近くの寮に送り込んだ自分の荷物のことだけを考えていた。出発当日は雨だった。母は、僕を玄関まで送り出して、最後に一度だけ僕の目を覗き込んだ。昔は母が屈んでいたのに、今では僕が母を見下ろす形になっている。「クリス、いつでも帰ってきていいからね」
 別れを惜しむでも、追い出そうとするでもなく、母はそう言って僕をジィッと見つめた。僕はただ、何も言えずにいた。そうやって、僕らはじっと見つめあった。小雨はやがて大雨に変わり、スコールのように周りに打ち付けた。バスの時間なんてどうでもよかった。傘もささずに逃げるように去った。最初は早歩きだったが、耐えきれずに走った。ぐちゃぐちゃの泥みたいになった舗装されていない道路を走り、野草を踏みしめ、濡れ鼠の風貌のまま、バスに飛び乗った。運転手がギョッとする顔を無視して椅子に座り、僕は一人で俯いていた。終点に着くまでずっとそうしていた。そこからニューヨークの着くまでの間、僕は泣きそうになりながら俯いていた。

 思えばそれが、僕の最初で最後の反抗期だったように思う。バスが走り出し、対して居心地のよくない座席に座っているのは僕一人だった。窓ガラス越しの雨粒を目で追い、脳裏に浮かぶのは昔の思い出だけだった。突っ走ってはいけない、でも、走り出したものを止めることなんてできなかった。僕はもう二度と、ここに来ることはないと思った。母がよくわからない人で片付けてしまった僕の怠慢が招いた結果であって、それは僕が理解しようとしていないだけだった。明るく、未来への希望なんて望めない日々だ。そうしてそれは、本当になった。

 大学に入ると、僕はまるで人が変わったかのように振る舞った。奨学生としての僕は、仮初めの優等生を演じた。今までに勝ち取ってきた賞が、それを物語っている。けれども、薄々僕は自分の才能のなさに気づき始めていた。僕にできたのは、それを隠すために作品を作り続けることと、それを自称芸術家に褒めてもらうことだけだった。大学には、僕よりも才能に溢れ、己の表現に磨きをかける人たちが集っていた。      
 ここでの僕はイレギュラーではなかった。むしろ真逆だ。面白みのない、量産型の車みたい。そこで僕の小さな自尊心はボロボロに崩れた。元から自信なんて自分だましで作り上げてきたものだ。それでも己を偽り、優等生の仮面をかぶって、もしくは文学人を偽って振舞っていれば、いやでも人は僕に注目した。本当に撮りたいものなんて、そこにはなかった。ファインダー越しに撮影した風景は、そこにはなかった。僕の目にはそんなものが見えなかった。そこで僕は思い知らされ、立ち直れないほど決定的な傷を負ったのだ。
 ニューヨークは思ったような場所ではなかったのだ。

 そうしてある日の夜。いつものように床に就き、毛布を口元まで引き上げた時に何かが違った。
 なんだか体が浮遊して、目が冴えて仕方がなかった。薬も何もやってないのに冷や汗が止まらなくて、突如として頭を掻き毟りたくなった。体全体がむず痒く、しばらく頭のてっぺんまで毛布をかぶり、ぎゅっと目を閉じて耐えた。そうして疼きが治ると、背中に伝った冷や汗だけが妙に生々しく思えた。髪の毛をいじったり、壁の模様を数えたりした。真っ暗な部屋に、わずかに聞こえる街の息遣いがあった。目を閉じても、嫌な思い出だけが頭を巡った。どうしようもないくらい、僕に眠気が訪れることはなかった。
 次の日、真っ青な顔で講義に現れた僕に声をかける人はいなかった。
 その日の夜、母の声が聞こえたような気がした。掛け布団の重さを意識するようになった。生まれて初めて飲んだ酒は、腐ったような味をしていた。
 その次の日も、そのまた次の日も僕が眠ることはなかった。僕は真剣に、睡眠をとらないことによるリスク、そしてこの状況を打破するための解決策を考えた。
 僕はとうとう、一週間眠れなかった。それは二週間になり、1ヶ月になり、さらには半年に至った。そして僕は、自分のことを不眠症だと認めた。
 けれども、それは何も意味がないことだった。日に日に酷くなる頭痛と不眠症は、僕の人格形成に大きな影響を及ぼした。
 まず、僕は他人を評定するようになった。評定し、誰も彼もが僕よりつまらない人間だと思うようになった。成功を目指すことが、この上ないほど退屈で、人生において価値がないと思うようになった。
 そこから、ヒッピーみたいに一日中ダラダラと過ごした。大学に顔を出すことも減り、日雇いの労働や、街で適当にカメラをぶら下げて歩く生活を送った。タバコと薬漬けの日々を送った。幸か不幸か僕の住んでいた通りはヒッピーや芸術家が多かったので、そういうものには事欠かなかったのだ。
 学校での僕の地位は低落した。堕落しきった僕を評価する人間はいなかった。関わろうとする奇特な人間もいなかった。僕は仙人のように過ごした。伸びきった髪を切ることもしなかったし、目元には隈が目立つようになった。母親によって仕立てられた服も着なくなり、薄汚れた古着で徘徊する。そんな中でも必要最小限の単位を取得し、怠惰に日常が過ぎていく。ラジオで聞く歌が、どんな旋律を奏でていても、僕はどうでもよかった。
 やっとのことで大学を出て放蕩していた僕の前に、手紙が来た。
 その日はよく晴れていた。

 朝まで警備員の仕事をしていて、その手紙が投函されたことに気がついたのは正午過ぎだった。日課として、錆びついてペンキのはがれかけたポストに手を突っ込み、督促状やらダイレクトメールやらとは違うサラサラとした薄い紙が入っていることに気がついた。糊を剥がして取り出すと、また何枚かの紙が入っていた。
 あたりはざわめいていて、同じ階に住む他の人間の怒声が響いている。文字に目を通したがミミズの這ったような記号に見えて仕方がなかった。
 心臓が大きく跳ねた。あたりの景色がぐるぐる回って、上下の感覚が消えた。まるで幻覚でも見ているような気分だった。けれど、これは現実だった。膝から崩れ落ちて、手紙は地面に落ちた。

 僕は結局、大した抵抗もしなかった。父や、その父、そのまた昔の僕の先祖がそうしたように、僕は「国のため」に戦うことになった。気がつくと訓練キャンプ行きのバスに乗り込み、しごかれ、あれやこれやという内に東南アジアの地に降り立っていた。
 蒸せるような熱気の中、ジャングルをひたすら進んだ。荷物を背負い、ブービートラップやらゲリラの村やらを突き進む。僕は訓練キャンプで狙撃の才能を認められ、アルファ中隊に狙撃兵として参加していた。
 こうしている間にも、僕の不眠症は治らなかった。でもそれは、ここでは都合がよかった。寝ずの番を買って出ていた僕は、麻薬に縁担ぎ、セックスに溺れる10代の兵士達から避けられていたように思う。誰とも関わろうともせず、孤立した状態にあった。ゲリラの村の少女達をレイプし、ナパームで焼き払った野を進む彼らの後ろを、僕は金魚のフンみたいにくっついていた。
 地雷を踏み抜き倒れた兵士は、ヘリに乗って消えていく。僕が撃ち殺したゲリラは、セメント袋のようにバタンと倒れた。
 運よく死ななかった僕は、発狂したり、験担ぎをしたり、家族や恋人に手紙を書く普通の兵士達をたくさん見送った。
 そんな中で僕は、彼に出会ったのだ。

 真っ黒な瞳に烏のような髪、小柄な体型を揃えた彼は、一見ベトコンの兵士にも見える。生来必殺の精神に、ヒッピーめいた感性をごちゃ混ぜにした彼と、矛盾の塊のような僕は、田舎のあぜ道を歩く。水牛や農業に勤しむ農夫達。一見して、誰がゲリラかはわからない。僕達はこの平和な光景への侵略者だ。弁論のように持論を展開していた僕だが、彼が何かに囚われているのは気づいていた。そこからずっと、どこへも行きたくなかった。このまま彼と永遠にあぜ道を歩いていたかった。
 ヒカル・ミナミという人は、奇妙で不可思議不可解な人間だった。戦局にも人間の死にも無関心で、適当に生きている感じがする。サイコパスめいた精神構造だ。連続殺人にも動じない気がする。
 わんわんと大の成人男性が泣き叫び、母親を求めて幻覚を見ていた。そういう凄惨光景を、ヒカルは見ているような見ていないような表情で傍観していた。
 僕は彼のことをミナミ君と呼んでいて、小さなロバート・キャパ君と、まるで子供に呼びかけるみたいに言うのが好きだった。
 彼の写真が特別優れているわけではない。けれども、僕の腰あたりまでの小さな慎重で、僕についていくのが面白かった。どういった風に彼がこの戦争を歩いていくのかが不思議だった。散歩するみたいに行軍していく僕たち中隊は、愉快なジャングル・クルーズを楽しんだ。ちょうどあの日は、ジャングル・クルーズにぴったりの日だった。まるでディズニーランドのアトラクションのような戦争だ。

 僕たちは、ジャングルの中を進んでいた。いつものように、ただ先に進む。歩くことだけが任務かのように。
 そんな中で、コントのように前を歩いていた兵士の首が飛んだ。その首を吹き飛ばしたのは少女だった。
 そこからは一瞬だった。その一瞬に、僕は目をやられた。薄れゆく意識の中で、ヒカル・ミナミが彼女を愛しているのだと悟った。二人は戦場で逢瀬を楽しんでいた。
 辺りが見えない。
 僕はせめて、彼のカメラの中で死にたかった。その時初めて、自分自身が生に執着しているのだということに気がついた。僕はカメラマンになりたかったけれど、なれなかった。けれどそれは、自分でなれないのだと思い込んでいただけだった。僕がヘリで病院に担ぎ込まれ、三日三晩気絶して、真っ先にわかったことがそれだった。それと同時に、ヒカル・ミナミはまだ生きているだろうと思った。

 僕が病院で療養している間、戦況は大きく変わっていた。僕の眼球は奇跡的に無事で、失明するまでには至らなかった。傷が癒えれば、また見えるようになるそうだ。
 抜け殻のようになって、ベッドの上で過ごした。ラジオだけが僕の情報源だ。「ジョニーは戦場に行った」のように看護師に介護され、視覚以外の五感をフル活用して、早く戦場に戻りたいなぁ、なんて冗談めかしてボヤいたりした。目が見えない狙撃手なんて、何の役にも立たないのだ。
 僕は本国に帰らずに、ずっとここにいることにした。僕は怪我から復帰すると、すぐに別の部隊に配属された。
 その間色々あって、アメリカは撤退することになった。目が完治して、はっきり見えるようになった途端にアメリカは戦争に負け、僕は本国に帰ることになったのだ。
 ヘリの中は混沌としていた。学生のキャンプの帰りのように、みんな疲れていた。それでも、何だか僕はここからまた新しい戦争をしに行くような気分だった。出撃前の兵士のような気分と、戦争に疲れた怠惰な雰囲気が、僕の脳みそで回っていた。こうやって帰ることになって、僕はどうしていいのかわからなかった。振動が激しく、みんな黙っていた。
「あっ!」
 窓に一番近い兵士が叫んだ。
 僕は彼の背中越しに、僕の目を抉った少女を見た。僕の隣のヘリが、少女の足場にされて大きく跳ねた。少女は僕らには目もくれなかった。
 そして、少女の飛び込んだヘリが爆発した。辺りは混乱に包まれ、その中で僕はたった一人冷静だった。否、冷静を装って内心興奮していた。ヒカル・ミナミはあのヘリの中にいたのだ。まちがいない。きっと彼は、先の爆発で死んでいる。
 心中だ。
 爆弾を腹に抱えて少女は突っ込んだ。ヒカル・ミナミは死んだ。少女も死んだ。これでおしまいだ。
 僕のベトナム戦争は、これで終わった。

 それから僕が本国に帰った。敗戦し、意味のない戦争をした僕らはあまり歓迎されなかった。
 いくつかの勲章をもらい、僕はずっとヒカル・ミナミのことを考えていた。そうしている中で、唐突に母親のことを思い出した。
 ジョニーの凱旋だ。僕はニューヨークを出て、故郷行きのバスに飛び乗った。

 僕のコンタックスは、前と変わらずにそこにあった。レンズには曇り一つなく、僕の手にしっかりと収まった。暗室にこもっていた幼少期を、僕は繰り返すだろう。きっと、ヒカル・ミナミは僕の子供時代を繰り返していただけなのだ。
 
 僕はカバンの中から勲章を取り出した。それを机の上にひっくり返した。大したことのないものばかりだ。
 おもちゃ箱のような僕の部屋。
 ヒカル・ミナミのレンズには、僕はどう映っていたのだろう。

 夕方になり、母は僕のために夕食を作っている。階段をノロノロと降りて、僕は母の隣に立った。
 僕の肩よりも低い背を曲げ、南部風の家庭料理を作っている母。ヒカルにも母親はいたんだろう。僕の母、ヒカルの母親。日系人のヒカルは、何を食べていたんだろう。日本料理だろうか。そして、それはどんなものなんだろうか。

 煮えたぎる肉を見て、沼の中から浮かび上がり、蜂の巣になった死体を連想した。僕の母の丸い背中。母親くらいのベトナム人を売ったこともある。彼女は風に舞うシーツみたいに転がって落ちた。
「母さん、僕が死んでいたらどうしてた」
「そんなの、その時になってみないとわからないね」
 今僕は、母の首を絞めて殺せる場所にいる。或いは、頭蓋骨を思いっきり殴って失神させることのできる位置だ。
「でもね、貴方が帰ってこないんじゃないかって心配だった」
 母はそう言って僕を抱きしめた。
「母さん、沸騰してるよ」
 母は何も言わなかった。
 僕は恐る恐る抱きしめ返した。
 暖かかった。ヒカル・ミナミもこうやって、あの少女と抱きしめあったのかもしれない。
 そうして僕たちは、煮えたぎったスープが吹き出している間、ずっと抱きしめあった。
 その晩、僕はカバンに隠し持ったピストルを池に投げ捨てた。ずっしりとした重さのそれを水切りみたいに投げた。そうして沈んだ僕の銃を横目に、芝刈り機で庭の雑草を一掃した。そこから僕は、髪を切った。それから明日にすることを考えている。カメラでも久しぶりに触ってみようか。それとも、ボートを漕ぐのもいいかもしれない。彼にいえなかった名前がある。僕の名前は、クリストファーだ。